能登半島地震の被災地で

取材で被災地に訪れるたびに、テレビ局の取材法には首をかしげてしまう。

 被災者に容赦なく突きつけられるカメラとマイク、そしてスポットライト。獲物を捕らえたように集団で被災者を取り囲み、テレビ局側が納得できる回答を得るまで続けられるインタビュー。集団で作業し、発言者の映像が不可欠なテレビ取材という性格上、致し方のないやり方なのかもしれない。集団過熱報道(メディアスクラム)の問題が浮上するたびに、テレビ局の取材法は批判の矢面に立たされてきた。能登半島地震の現場を例に、実際、テレビ局クルーがどのように取材していたかをお伝えしよう。

 能登半島地震の被災地、輪島市門前町道下の報道映像は、わたしを含め一般視聴者はたびたび目にしてきたと思う。ところが、被災地の現場に立つと、テレビの映像と実際の光景とのギャップに驚く。

 確かに画面に映し出された被災地の現場風景は事実だ。被災のもっとも惨い部分、極端に象徴化された部分が切り取られている。しかし、それが全体を象徴しているかというと、違う。

 統計用語で言うサンプリングエラーとでもいおうか。映し出された映像というサンプルが、被災地全体という母集団を表していないのだ。これは写真報道にもいえる。事実、わたし自身も写真取材で現場に行くと、極端な被写体を求めてしまう。

表面上、被害が見えない輪島市門前町の目抜き通り。被災地のこのような光景がテレビ映像や報道写真で映されることはめったにない。取材を終えた報道陣が歩いている。3月27日 (撮影者:小田光康)

 今回の地震でもっとも被害が甚大だったとされる、輪島市門前町の道下や総持寺祖院周辺。ここで多くの古い木造家屋が全壊・半壊していたのは事実だ。しかし、外観に目立った損傷がある目新しい鉄筋家屋は少なかった。門前町道下の国道沿いにはコンビニやホームセンターが通常通り営業しており、そこで被災者や復旧支援関係者が修理用具・部材や食料品を買い求めていた。もちろん、報道陣もそこで用足しをしていた。

 また、テレビ局のクルーによって、そのいでたちが異なるのも気になった。テレビに映るレポーターはヘルメットをかぶり、雨具を着て長靴を履いている。被災地取材の「優等生的な身なり」をしている。一方、カメラマンや音声・ライティング担当者やディレクターは普段着なのだ。ヘルメットを着用しているテレビ局記者やカメラマンの姿など、めったにお目にかかったことがない。レポーターも収録を終えるとヘルメットを脱いでしまう場合が多いようだ。演出の一種なのだろうが、視聴者を欺くような態度ではないか。

 わたしは被災者への取材は基本的に人間同士の対峙(たいじ)だと考えている。悲惨な境遇にあり、不安を抱える方々への思いやりは最低限の取材マナーだ。ところが、テレビ局の取材の場合、記者、ディレクター、カメラマン、音声マン、ライトマンなどが集団となって、たったひとりを取材する場合が多い。これが被災者に対しては大きなプレッシャーになる。取材に応じてくれた被災者がわたしに、テレビ局の取材陣に包囲されたと愚痴をこぼされることもしばしばだ。

 被災者取材でわたしがたびたび経験してきたことのひとつに、テレビ局クルー集団の「割り込み取材」がある。わたしが1対1で被災者に取材をしていると、急にその被災者にスポットライトが浴びせられ、マイクが突き出される。もちろん、許可もなくカメラが回っている。そのたびに被災者の方は、恨めしそうな目つきに変わり、口ごもってしまった。

 被災地からの生中継取材にも疑問がある。被災地は通常、救助や警備、復旧作業や被災者の車両でごった返す。そこに不必要かと思われるドでかい中継車が我が物顔で駐車していると、テレビ局のマナー自体に疑問を抱いてしまう。録画取材ではダメなのだろうか。たった数十秒の映像のために、多くの機材と人材を投入して何時間もかけて準備する。その間、救助・復旧作業の障害になっている場合もあるのだ。門前町道下でも、被害が最も大きかった場所のすぐ近くに複数のテレビ局の中継車が止まっていた。

 写真や映像の取材は「その瞬間」を切り取ることが求められる。記事の取材とはまったく別の難しさがある。

 あるテレビ局のカメラマンが、倒れそうな民家の前で、わたしにこう話しかけてきた。「倒れるまでカメラを回し続けていろ、と本社から指示が来たんですよ。早く倒れてくれないと……」。本音はそうかもしれないが、口にしてはいけないことだ。倒壊しそうな家屋を撮るために、その前にカメラマンが居続けていたら、その住民はどんな気持ちになるのだろうか。

 被災者や被災地の取材は難しい。人が答えたくないようなことを取材するのだから、取材する側もやりにくい。取材する側はよく「この悲惨な状況をより多くの人々に知ってもらい、2度と同じ過ちを繰り返さぬよう、その教訓にしたい」などと被災者を説得する。つまり、取材は市民社会への使命感に基づくというわけだ。

 一方で、被災地取材の動機の根底には、同業他社との競争心があることは否めない。他社よりも、よりビビッドに、より強烈にとカメラを向ける。しかも、他社に特ダネを取られることは絶対に避けたい。これがメディアスクラムにつながる。

 マスメディアとしてのテレビ局の取材は、このあたりに限界があるのかもしれない。しかも、被災地の全体像を伝える「客観報道」はあり得るのだろうか。そして、小型ビデオを携えた映像メディアに新たな報道の可能性があるのだろうか。こんなことを考えながら、わたしは門前町道下の凄惨な光景をぼんやりと見つめながら歩いていた。そしてふと取材法を思いついた。次回はそれについてお伝えしたい。 (続く)

【編集部注】記者はPJニュース編集長兼オーマイニュース・トレーニングセンター長です。