吹き出した歴史認識の溝と、裁かれる「黒人性」
先週3月19日、アメリカはイラク戦争開始から5周年を迎えた。4000億ドルを費やし、米兵4000人の命を犠牲にして、いまだ撤退の見通しは立っていない。ブッシュ政権が失った国際社会の信頼を取り戻すべく、次期大統領にはどんなリーダーシップが要求されるのか──。そうした議論が行われるはずだったこの1週間、アメリカの話題は国内を深く分断する「人種問題」一色になった。
バラク・オバマが通う教会の元牧師で黒人のジェレマイア・ライト師が、過去の説教で、アメリカの人種差別や白人支配層について過激な批判を繰り返していたことがメディアで取り上げられ、大騒ぎになったのだ。
「アメリカに神の呪いあれ」
ライト師は、シカゴの黒人地区サウスサイドにある8000人規模のTrinity United Church of Christで30年以上牧師を務め、コミュニティーの柱になってきた。オバマとミシェル夫人の結婚式を執り行い、娘に洗礼を施し、オバマが「スピリチュアルな師」と仰ぐ人物だ。
黒人解放神学の流れを汲み、時に過激なレトリックを使うことは以前から知られていた。しかし、ここにきて、あるTV局が、ライト師が説教で「God damn America!」(アメリカに神の呪いあれ)と叫んでいる映像を見つけて流し始めた。
問題の演説は、9.11同時中枢テロの後、ライト師が「神と国家」について語ったもの。悲劇に言及しながらも、自国や他国の市民を非人間的に扱ってきたアメリカ国家の傲慢さを批判。広島と長崎に原爆を落とし、日系アメリカ人を強制収容し、黒人を差別し続ける。そんなアメリカを「God bless America(神の祝福あれ)と歌うことはできない。God damn Americaだ」。情熱的な説教だったが、「呪い」の部分だけが取り出された。
別の説教で「アメリカは裕福な白人が支配する。ニガー(黒人の蔑称)と呼ばれたことがないヒラリー・クリントンに、黒人として生きることは理解できない」と叫んでいる部分も切り離された。賛同する黒人信者たちの姿とともに、数十秒のサウンドバイトに作り替えられた説教は、ケーブルTVやYouTube、ラジオのトークショウで、休みなく流された。
オバマは、ライト師の発言を「扇動的で侮辱的だ」と非難し、ライト師はオバマの支持組織のメンバーを辞任した。
しかし、狂騒は収まらなかった。共和党系コメンテーターや過激な右派トークショウホストたちは、一斉にオバマを攻撃した。「ライト師は白人への憎悪を振りまく黒人テロリスト」「関係を持つオバマの愛国心も疑わしい」。Guilt by association(連座の罪)を問うヘッドラインが飛び交った。
リベラルなメディアも疑いの目を向けた。
「本当は人種分断を煽る『黒人』指導者なのでは」「融和と希望を訴えるなら、教会とも牧師とも縁を切る(disown)べきだ」。同時に、「黒人は今も怒っているのか」と驚き、「黒人教会ではこんな演説が当たり前なのか」などと、何百年も存在してきた黒人教会をまるで秘密の場所でも訪ねるように報道した。
クリントン陣営もこれに乗じて、オバマの愛国心を疑うような発言をし、特別代議員に向けて「自分の方が候補にふさわしい」と主張を始めた。オバマの支持率が下がり始めた、という世論調査も報告された。
一方通行だった統合プロセス
一連の過剰な反応が明らかにしたのは、奴隷制にさかのぼる過去の責任と差別の現実に向き合うことを避け続ける、白人社会とメディアの姿だ。人種隔離政策の撤廃を目指した公民権運動から40年が経った今も、人種間の歴史認識はすれ違う。オバマに対するヒステリックな糾弾を、黒人たちは、「またか」という思いで見ていた。
ライト師の教会に12年通い、オバマを支持する黒人女性トニ・オドムさんは憤る。
「多くの白人は、黒人が何を考えているのか知らないし、知ろうともしない。だれもが白人と同じようにアメリカを見ているわけじゃない。ライト師は、私たち黒人にとっての真実、歴史の一部を話しただけ。国を批判したからといって愛国心を疑われるのは心外だ」
人種統合(integration)のプロセスは、往々にして、黒人側から白人側への一方通行だ。公民権法が制定された65年以降、黒人が白人居住区に移り住むと、白人はさらに郊外へ逃げた(white flightという)。統合を強制するため、白人を黒人地区の学校へバスで通わせる政策(busing)に、白人は猛反発した。
白人が差別を認め、特権を捨てて過去を償おうと黒人側へ歩み寄るのではなく、黒人が白人社会に受け入れられることに重点が置かれた。そのために黒人は、白人よりも多くの努力と責任を負わされ、ブラックネス(黒人性)は注意深く裁かれ続ける。白人社会で成功するためには、時に、黒人性を捨てることが要求された。白人に罪の意識を感じさせないことが、暗黙のルールだからだ。「黒人として」の実感や歴史認識、髪型を含めた文化・民族的な表現は「黒人的すぎる(too black)」と敬遠された。
同じことが、政治家を含む黒人指導者にもいえる。白人社会は黒人指導者を単純二極化し、多様な思想が存在する黒人コミュニティーを一面的にしか理解しようとしなかった。「穏健な非暴力主義」のマーティン・ルーサー・キングと、「過激な分離主義」のマルコムX、というように。
オバマもまた、「ブラックネス」の定義に振り回されてきた。
黒人票がクリントンについていた当初は「黒人らしくない(not black enough)」といわれ、白人州のアイオワで勝利すると「人種を超えた(post-racial)候補」「ジェシー・ジャクソンやアル・シャープトンのような黒人政治家とは違う」と評された。
クリントンを追い落とすと、躍進と人気の理由は「半分白人(half-white)だから」。さらには「黒人だからラッキーで」となった。そして、ライト師の問題で、オバマは「too black」になったのだ。
ライト師と縁を切るべきだというメディアの合唱は、「オバマに黒人であることを捨てろと要求しているようなものだ」と、オドムさんは言った。「多くの黒人政治家が、白人票欲しさに黒人コミュニティーに背を向けてきた」
白と黒──「そのどちらもが、アメリカなのだ」
黒人社会と白人社会から二重のプレッシャーを受け、釈明を余儀なくされたオバマは、3月18日、「より完璧なアメリカ(A More Perfect Union)」と題した演説をした。
建国以来、深く絡み合ってきた白人と黒人の複雑な関係と、両者の間に横たわる人種差別の深い溝と歴史認識の違いに言及し、未来への共同の取り組みを呼びかけたスピーチは、約40分に及んだ。
オバマはこう語った。
ライト師の発言は侮辱的で間違っているが、ライト師の世代や多くの黒人にとって、差別に対する怒りや嘆きには歴史的な根拠があることを、白人は理解しなければならない。同様に、白人の中にも人種の特権を感じられず、黒人に対して苦い思いを抱いている人たちがいる。ライト師の矛盾は、黒人社会が抱える矛盾であり、私は黒人社会と縁を切ることが出来ないように、ライト師とも縁は切れない。自分を愛し育ててくれた白人の祖母は、時に黒人への偏見を口にした。その祖母を捨てられないように、ライト師も捨てられない。そのどちらもが、アメリカなのだ──。
生中継で演説を見た人は、平日の午前中にも関わらず400万人に上った。YouTubeでは300万件のヒットを記録した。主要メディアは「歴史に残る最高の演説」「人種問題をこれほど率直に語った政治家はいない」と称賛した。
オバマは、午前2時までかかって演説を書き上げた。人種について深く語ることが選挙戦に及ぼす影響について、ミシェル夫人ら黒人の選対幹部らは自信をもって賛成したが、白人幹部らは最後まで不安がったという。演説後のインタビューでオバマは言った。
「私は池に小石を投げた。『希望の波紋』がどこへ広がって行くのかは、まだ分からない」
オドムさんは演説を聞いて泣いた。
「白人にレイシズムと向き合うことを教え、黒人の魂を売らなかった。巧みな素晴らしいスピーチだった。次は、私たちアメリカが波紋に答える番だ」
(敬称略)
[さとう・みれい]ロサンゼルス在住ジャーナリスト。東京生まれ。日本女子大学英文学科卒、朝日新聞記者を経て、99年に渡米。UCLA(カリフォルニア 大学ロサンゼルス校)アフリカ系アメリカ人研究学部で修士号。その後、UCバークレーの大学院で黒人の歴史や文化、メディアと人種問題を研究。 2007年から現地発行日本語雑誌の編集記者として大統領選などを取材。アメリカ社会の今を追い続ける。