アニメから漫画へ~翻訳家へのインタビューを通し
今、イタリアで日本漫画が注目を集めているという。これは大変興味のある話である。そこで、イタリアの日本漫画事情についてもっとよく知りたいと思った。
さて、まず、イタリアの漫画事情そのものを知らないと、イタリアにおける日本漫画のあり様を想像することは難しい。そこで、新進気鋭の漫画翻訳家として活躍中のイタリア人女性へのインタビューを通して、いろいろな角度からイタリアの日本漫画事情に迫ってみたいと 思う。取材相手は、ダ・ポント・ステファニアさん(北イタリア・ヴェネト地方のサンタ・デュスチナ在住)である。
(1)1979年:日本のアニメがテレビで最初に放映される。
(2)1980年:ステファニアさん誕生
(3)1983年:ステファニアさん、3歳
Q: ステファニアさんが最初に日本のアニメを(テレビで)見たのは何歳ごろですか。
A: 3歳のころだったと思いますが、確かな思い出が残っているのは5~6歳ごろからでしょうか。
(4)1985~86年:ステファニアさん、5~6歳
Q: どんな内容のものだったか思い出せますか?
A: 母の話によると、最初に見たのはロボット系でした。その後、「魔女っ子もの」など女の子向けのものをよく見ました。すべて吹き替えでカラー映像でした。 『機動戦士ガンダム』、『グレンダイザー』、『マジンガーZ』、『アルプスの少女ハイジ』などの内容は今でも覚えています。
(5)1987年~:ステファニアさん、7歳~
Q: その後の作品では、どんなものを覚えていますか。
A: 『ベルサイユのバラ(イタリアでの題名はLady Oscar)』、『アタック・ナンバー・ワン(Mila & Shiro)』、『キャプテン翼(Holly & Benji)』、『エースを狙え(Jenny la tennista)』などです。
Q: 日本のアニメは、イタリアではどのように編集されていましたか?
A: タイトルは、新しく付けられているものが多かったです。また、登場人物の名前を変えてあり、日本名もあれば、イタリア名、英語名なども混ぜて使われていました。子供としては、そのアニメがどこの国のものなのかまではよく分かりませんでした。
Q: どれくらい見ていましたか?
A: 本当に毎日いつも見ていました。毎日、1~2時間くらいは見ていたと思います。今から思うと、私は日本のアニメを見て育ったと言えるかもしれません。
Q: そのころのイタリアアニメにはどんなものがありましたか? また、日本以外のものでは、どこのアニメを見ましたか?
A: 純粋なイタリア製アニメについてはなかなか思い出せません。あまりなかったように思います。日本以外のものでは、アメリカのCartoons(続きアニメ のことを英語でこう言う)でした。
「Disney」のものや、「Hanna and Barbera(ハンナ・バーベラ・プロダクション)」のものです。子供のころは、アニメの出どころについてはほとんど意識(区別)していませんでした。
で も、今になって考えると、一番好きだったのは日本のアニメでした。絵の描き方もきれいだったし、ストーリー(内容)も、アメリカ製のアニメより面白かったです。
(6)1991~94年:ステファニアさん、11~14歳、中学生
Q: 最初に日本の漫画を読んだのはいつごろで、どんな内容のものでしたか?
A: 中学校のころで、当時、人気が高かった「美少女戦士セーラームーン」の漫画でした。日本の漫画を読むようになってから、小さいときからずっと見てきたアニメが日本のアニメであると知りました。また、日本のアニメのいくつかは、日本の漫画を原作としており、それがアニメ化されたものであるということも始めて知りました。
Q: 日本の漫画(イタリア語に翻訳されたもの)は面白かったですか?
A: 面白かったです。「美少女戦士セーラームーン」のイタリア版は、日本の単行本とは違い、雑誌のような形で、キオスクで売っていました。値段もあまり高くなかったので、子供のお小遣いでもじゅうぶん買えました。2007年の今日でも、漫画本は、本屋さんではなく、キオスクか、コミック専門店で売られています。そして、どこも大変流行(はや)っています。
Q: そのころのイタリア漫画はどんなものでしたか?
A: イタリアのコミックもちゃんとありました。私も連載漫画が載っていた子供向けの雑誌を読んでいました。日本の漫画との大きな違いはやはり絵のスタイルです。
Q: 印象に残っていること、強く記憶に残っていることはありますか。
A: 漫画を読み始めたころから日本という国に興味を持つようになりました。日本漫画は圧倒的な存在感を持っており、強烈な記憶が残っています。
Q: 翻訳家になろうと考えたのは、このころですか?
A: いえ、違います。翻訳家になることについては、中学生のころは具体的には考えていませんでした。ただ、日本語に興味を覚えていたことは確かです。
(7)1994~99年:ステファニアさん、14~19歳、高校生
Q: 高等学校を選択する上で、日本のアニメや漫画から影響を受けましたか?
A: 外国に興味があったので、外国語を教える高等学校を選択しました。英語を中心に、フランス語やドイツ語を真剣に勉強しました。しかし、何か物足りなさを感じ、興味があった日本語の勉強も始めました。「将来、日本語を生かした仕事をしたい」と密(ひそ)かに思い始めたのもこのころです。漫画の翻訳家になることも夢見ていました。
(8)2000~05年:ステファニアさん19~24歳、大学生(在学4年+卒論1年)
Q: 高校生活を通して日本と日本語に対する興味が深まったということですが、大学はどこへ行きましたか? イタリアではどこの大学に日本(語)学部があるのですか?
A: ヴェネチアにあるヴェネチア大学に行きました。私の生まれはヴェネト地方のサンタ・デュスチナなので、同じヴェネト地方にあるヴェネチア大学東アジア学部日本語科に入りました。ここは、東アジア研究に関する伝統と実績のあるところです。イタリアで日本学部がある大学で有名なところは北のヴェネチア大学と南のナポリ大学です。
(記者注:ヴェネチア大学は、正式にはカ・フォスカリ大学(Università Ca' Foscari, Ca’ Foscari University)と呼称されています。15世紀にヴェネチア共和国の総督を務めたフォスカリ家の邸宅を改造して大学の本部としていることから、 「カ・フォスカリ(フォスカリ邸)大学」と呼称されているわけです)
Q: 大学ではどんなことを学びましたか。
A: 日本語はもちろんですが、日本文学、日本文化についても学びました。源氏物語も勉強しましたよ。コミックなどの漫画文化、アニメや映画などの映像文化などにも親しみました。
日本の漫画(イタリア語訳)にも親しみましたが、日本語の勉強を兼ねてというより、日本語と日本漫画そのものの面白さに魅(ひ)かれて読むよ うになりました。それからヴェネチア映画祭には欠かさず行き、北野たけし監督の活躍を目にしました。また、日本の電子技術や電子製品にも興味を覚えました。日本のデジカメや携帯音楽プレーヤーを手にしたのもこのころです。
Q: 真正面から日本漫画の翻訳家になろうと考えたのもこのころですか?
A: そうです。習った日本語を生かせる仕事として、漫画の翻訳家になることを決意しました。そのためにも日本語の勉強は一生懸命しました。
Q: イタリア語に翻訳するとき、漫画の日本語はどんなところが難しいですか。
A: 擬声語や擬態語がたくさんあることです。いずれもイタリア語にはない日本語の面白さなので、翻訳ではどんなイタリア語を当てはめるのか、それともそのまま 日本語の音を当てはめるのか、よく考えます。
さらに新しい奇抜な表現がたくさんあるほか、作者の新しい造語があったりするので気が抜けません。また文章が短縮されることも多いので苦心します。中には意味の見当がまったく付かないものさえあります。そういうケースでは、最後は日本人に相談するしかありません。
Q: 日本語の難易度についてどのように思っていますか?
A: 日本語そのものは、イタリア語よりもやさしいように思います。日本人がイタリア語を学ぶ場合よりも、イタリア人が日本語を学ぶ場合の方がやさしいと思うからです。日本語では、動詞こそ「変化」がありますが、逆に、「変化」するものはこの動詞ぐらいなので、やさしいと思うわけです。ただ、日本語には、文 語、口語、敬語など、多様な表現法があり、そこが難しいと思います。でも、文章の基本構造そのものは同じなので、イタリア人の私としてはそれほど難しいと は思いません。自信過剰かもしれませんが……。