「人と人が愛し合う行為のどこが、ワイセツなんやろか」

東郷にあるとき、逮捕の回数を聞いてみた。

 「そんな具合の悪いこといちいち、覚えていませんわ」

 封印破棄罪、横領罪、強要罪、恐喝罪、傷害罪で逮捕されたことがある。中でもワイセツ関係の罪で、逮捕されたことが多い。

 1984年の12月8日には、「ワイセツ図画所持及び販売」という罪名で逮捕された。これは、かい人21面相による「ハウス食品脅迫事件」の別件逮捕が濃厚だった。

 当時、東郷のかかわっていた写真集『男男よ!』は、株式会社噂の真相が発売元となって発刊されていた。月刊誌『噂の眞相』(休刊)は1984年12月発売号で、日本を揺るがさせていたハウス食品脅迫事件の報道協定を公開し、犯人を逮捕できない警察の醜態を報じた。

 岡留安則編集長のもとには、発行前に警察から何度も掲載取りやめの打診があったが、それを拒否。問題の号は取次各社に、12月8日に搬入されることになっていた。そして、8日の朝に東郷が突然、逮捕されたのだ。表向きの逮捕理由は、『男男!』の中に無修正で男性器が載ったから、ということだった。噂の真相の元には12月17日に、岡留の自宅には12月20日にガサ入れがあった。

 「ワイセツの嫌疑なのに、住所録を押収したんですよ。おそらく報道協定がどこから漏れたのか、調べかんでたかったんでしょう」と岡留は言う。結局東郷は、12月26日に起訴猶予で釈放された。

 1986年には、男性器がモロ出しの写真雑誌とビデオを海外から持ち込もうとして税関で捕まり、関税法違反で起訴されたこともあった。罰金と雑誌の没収に抵抗したからだ。この事件では最高裁まで争い、無罪を主張した。が、最終的には有罪になり、罰金刑となった。

 「もともと日本に『ワイセツ』って言葉はないんです。江戸時代には日本人が見つけたデモクラシーがあり、男性器をこすりつけ合う『かげま茶屋』があった。私にはワイセツが、わかりません。人間の身体のどこがワイセツなんやろ。人と人が愛し合う行為のどこが、ワイセツなんやろか……。愛は自由やし表現なんやから、それを権力が取り締まるなんていけません」

 自身の行為を長年、ワイセツだと国家に指弾されてきた、東郷のたどり着いた結論である。

 ところで、東郷には妻がいた。

 1999年に亡くなるまで、長い間、別居生活で、晩年には妻のほうから三くだり半をつきつけられた。東郷と元妻との間には一男二女の子どもができた。世間体を気にして「偽りの結婚」をし、「若かったもんで、穴さえあれば、ポンポンポンポン入れてしまい、子どもができたんですよ」と東郷は言う。

 東郷は大学生のときに、男性相手にセックスした。これが初体験だった。世間体を捨て、オカマとして生きるようになれたのは、姫路でゲイバーをかまえてそれに失敗したのがキッカケと言う。人生の辛酸をなめたことにより、正直に生きにゃアカン、という結論に至り、家族を捨てて東郷は東京に出た。ゲイバーを再び経営することにしたのだ。後に、東郷は長男・長女を引き取って育てた。昼はパパ、夜はママという状態が続いた。破天荒な東郷は、子どもの目にはどのように映るのだろうか。

 「私にとって、父親はどうでもいい存在ではなかった。ここにきてやっと父親を冷静に見られるようになったのは、気にくわない人間をすべて断罪できないことに気がついたからです。いまは父親としてではなく、1人の人間として、東郷の生き方を認められるようになったんです」

 東郷の息子はこう語る。東郷にたいして蓄積した怒りを抱えていた彼は、父をブン殴ったことが1回あった。しかし、いまでは東郷を理解している、と言う。

 和解してから毎年、大みそかに東郷と息子は、早稲田大学文学部キャンパス近くにある「穴八幡」にお参りをして、お札をもらうことが恒例となっている。10歳を過ぎている息子の子どもがそれに同伴する。

 「孫が入ることで、クッションになる。父親は世間で言う、おじいちゃんです」