「人間が平等は、セックスを通じてでないとわかりにくい」

 それにしても、右翼の攻撃が予想されたのにも関わらず、東郷はなぜ“不敬イラスト”を雑誌に載せたのか。その背景には、東郷の天皇制への怨念(おんねん)が込められている。

 東郷の生まれは兵庫県加古川市である。祖父に衆院議員を務めた名倉次、父に兵庫県議会議員の東郷伍郎を持つ。本人の語るところによれば、東郷の母は教師を務めていた。その土地の名家・東郷家に嫁いだのだが、“継母(ままはは)”だったために、それを理由に、先妻の子どもから、いじめられた。

 夫は女遊びと芸者遊びに狂い、東郷に暴力を振るうこともままあった。そして、1941年に夫をがんで亡くした後には、家長となった先妻の長男に召し使いのようにこき使われ、若くして歯が抜け落ちていった、という。家父長制や一夫一婦制にたいする東郷の嫌悪は、幼少に体験した理不尽な家長の存在に、起因するのだろう。

 「当時の私にとって、一国の長は神様天皇であり、一家の長は父であり、父の死後は長男が長やったんですよ。家長の権力は、社会の仕組みとして天皇制につながっているんやないかと、と思ったんです」

 そして……、と続けた。

 「天皇は自ら人間宣言をしながら戦後も天皇であり続けたんですよ。戦争で傷ついていった人々に対する責任をごまかして・・・。戦争の傷で苦しんでいる人に対する後悔もなく、責任も覚えない天皇にとって、人間宣言はたんなる自己弁護でしかなく、人から教えられた逃げ道やったんです」

 東郷は長年、選挙に出るたびに政見放送や街頭演説で、「日本の象徴が天皇の朕(ちん)ならば、それよりも私は、男性の象徴のほうが好きや」という趣旨のことを言い続けてきた。

 「人間が平等であるということは、セックスを通じてでないとわかりにくいんと思うんですよ。人間にそんなに違いはアラヘン、みんな同じなんやで、平等なんやで、といいたかったんです」

底辺の代表者がいない

 そして、1971年に、東郷は初めて参院選挙の全国区に立った。最後の出馬となる1995年の参院選挙までに、選挙に立候補した回数は10回を優に超える。

 「差別される側の代表者が国会にいないっちゅうのはどういうこっちゃ。なにが自由や、平等や。なんで底辺の代表者が一人もいないんや」

 そんな憤りから東郷は立った。そして、「オカマ、オカマの東郷健です」と絶叫しながら、全国を駆け回った。東郷にとって選挙とは、自らの思想を自由に、しかも大勢に向かって表現する場だった。しかし、その表現に制限が加えられる事件が起きた。1983年の参院選挙のときである。

 自らが代表をつとめる雑民党から比例代表区に立候補した東郷はNHKで政見放送の録画を撮った。そこで、目の見えない竜鉄也や、足の不自由な八代英太などと協力して、『太陽はいらない』というコンサートをやったときのエピソードを紹介した。

 ところが、そこに目の不自由な人、足の不自由な人に対する、いわゆる差別語が存在した。差別語を用いながら、「このような差別がある限り、この世に幸福はありません」と言ったのだ。

 これに対し、NHKは差別語の部分を削除して、口だけがパクパクする無音声の状態で放映した。東郷の許諾を得ないままに、である。

 そこで、東郷健と雑民党が原告となってNHKを相手取り、損害賠償を求めて、東京地裁に提訴した。原告代理人は、遠藤誠・弁護士である。NHKの行為は、候補者の政見をそのまま放送するように規定している公職選挙法150条3項に違反する、と主張した。

 1985年に出た1審判決では原告の勝訴だった。しかし、「NHK側の弁護士ですら、勝てるとは思っていなかった」(遠藤弁護士)2審では、「緊急避難的処置として許される」という理由から削除が正当化され、逆転敗訴。そして3審でも敗訴となった。

 しかし、「形の上では、負けましたが、実質的には勝ったのですよ」と遠藤はいう。

 なぜなら、NHKは次の1986年の参院選では、東郷の発言をそのまま放送したからだ。

 「皆さん。このNHKは公共放送と言っておりながら、3年前の参議院選挙に立候補した私が、政見放送で『メカンチ、チンバの切符なんか、誰が買うかいなと言って、身体障害者を差別する言葉を世間から言われました。そのような差別の意識は、徹底的に粉砕しなければならない』と述べたら、その中の『メカンチ・チンバ』という言葉だけを、勝手に削除して放送しました。そのように、候補者の政見放送の自由を侵害し、また、差別語だけを削って身体障害者の救済を何もしようとしないこのNHKは、百害あって一利のない存在です」

 ちなみに、原告・東郷健が裁判所に姿を現したのは、証人として呼ばれた1回のみ。無報酬で裁判を引き受けた遠藤弁護士にまかせっきりだった。「2階に上げられて、下からはしごをハズされた気分ですな」(遠藤弁護士)。そのことを東郷に聞けば、「そんな朝早くから起きられないわよー」ということだった。