どこかで間違ってしまったた愛

我が子に対する過保護の現状として、テレビでモンスターペアレンツ(怪物父母)の話をやっていた。

 子供が学校で擦り傷を負った。学校では、消毒等の処置をし、帰したその後、「医者でもないのに、擦り傷と何故判る」「当面、タクシー通学させるから通学費を寄こせ」と親が怒鳴り込む。、

 父兄参観で両親の他に、祖父母二組も訪れ、教室に入れないと文句を言う。

 戦後、学校教育を駄目にした代表として、PTAがあげられるけれども、その実態の今日像だろう。

 1969年に製作の大島渚監督作品『少年』は、実際にあった当たり屋家族の全国行脚を描いたロードムービーである。

 我が子を飛び出させ、車にぶつからせ、親が怒鳴り込み、得た金で生計を立てる。

 我が子に対する過保護も度が過ぎれば、我が子の人格を無視しペットとして扱い、この当たり屋家族と何も変わらなくなるのじゃないだろうか?

 違うとすれば、モンスターペアレンツの子供は、我儘で過剰な「愛」があたり前の親の犠牲者であり、当たり屋の子供は親のエゴにさらされた分、「愛」に飢えているところだろう。

 モンスターペアレンツのいちゃもんに身の危険を感じる教師たちに、公務員賠償責任保険(訴訟費用保険)への加入が増えているらしく、モンスターペアレンツ保険とも言われているようである。

 父母は良かれ悪しかれ、怪物になるものだ。子育てを父母の責任、教師の責任と単純に考える事がやはりおかしいのだろう。

 映画『少年』の主人公は車に当たり、日の丸のように赤い血を流す。

「ほら、今よ。飛びこみなさい」

 少年の背中を押す母は「死んで帰れ」と言い続けた軍国の母であり、今のモンスターペアレンツなのだろう。