「無断」じゃないけど、迎合したっていわないで
漫画のセリフなどに、流行歌が掲載されている場合、欄外や奥付などにJASRAC承認番号がついているのを目にします。わずか1小節くらいであってもです。
そんなところから、歌謡曲などの歌詞を著作物に使うときは、一部であってもJASRACの許諾が必要なんだろうな、と漠然と思っている人は多いと思います。
ただ、これはむかし日本文芸家協会とJASRACが話し合って、引用の量について、1、歌詞については1小節以内、2、楽曲は半分以内──などということを文書にしたことによる業界慣行です(参考:豊田きいち著『編集者の著作権基礎知識 第4版』日本エディタースクール出版部)。
つまり、権利者同士のいわば談合であって、適法とは言いがたい判断も含まれています。したがって、著作物を利用する私たちがこれにとらわれる必要はありません。
では、他人の著作物を使うにはどうしたらよいでしょうか。
- 著作権者の死後50年たったもの。
- 著作権者の許諾を得たもの。
- 「引用」
- 時事の事件の報道のための利用
1.は今の流行歌には当てはまりません。2.の場合、今の歌謡曲の著作権はおおむねJASRACが管理しているので、管理者JASRACに許諾を得て、使用料をはらうことになります。4.はまれなケースだということです。
では、3.の「引用」とはどのようなものなのでしょうか。「引用」とは、他人の著作物を無断・無料で使える著作権法上の規定をいいます。
そんなにうまい話があるのか? 歌謡曲の歌詞を勝手に使ったらJASRACから裁判を起こされるんじゃないか? とご心配な方もいるでしょう。
私もそうでした。ですから、オーマイニュース編集部が歌詞を「引用」する記事を出すたびに、編集部にJASRACから許可を得たのか、と何度も質問していました。
実際は、「引用」として適切であれば、JASRACも歌詞の使用は認めています。なぜなら「引用」は何人(なんぴと)にも認められた正当な行為だからです。
とはいえ、その「引用」の成立する要件がわかりにくい。
実際にブログや、オーマイニュースのようなニュースサイトの記事に、歌詞を適正に引用するにはどうしたら良いでしょうか。適切な「引用」の理解が肝になってくると思います。
巷間言われているJASRACの "問題点" とは何か
歌謡曲の歌詞を掲載した結果、JASRACと議論になり、管理者やプロバイダーが自主的に削除、閉鎖したサイトやブログもあります。「JASRACの従前のやり方が引用の過剰制限」ということもはネット上で解説されています。しかし、どの言説が本物なのかよくわかりません。
JASRACの問題点を指摘する様々なサイトのなかで、引用については「JASRACとの往復書簡」がくわしく解説しています。辻仁成氏の作品を評論した「ツジジンセイを読む。」という別サイト(現在、閉鎖中)を巡り、歌詞の引用についてJASRACとやりとり(往復書簡)を掲載しているサイトです。
一方、こちらのブログは、ブログの管理側が自主規制したようです。「牧歌組合~耳コピとエロジャケ~活動休止のお知らせ」
上記サイトでは、引用についての議論に決着がついていないようです。心配性の私としては、残尿感におそわれます。
解釈に関しては、「引用したい側」と、「著作権から利益を得ている側」(=権利者とその管理者)では利害が対立し、解釈も変わってくる可能性があります。なぜなら権利者側は当然、幅広く網をかけようとするからです。
記事を書き、「引用」する場合もある市民記者としては、ガイドラインがあれば重宝です。
なお「著作権から利益を得ている側」と上記ひと括りで書きましたが、作詞作曲者側からもJASRACの問題点は指摘されています。それは別件なので以下参考記事を示すにとどめます。「『補償金もDRMも必要ない』──音楽家 平沢進氏の提言」
引用したい側からみたら、JASRACは圧力団体、利権団体のように見えてしまいます。ニュースでもJASRAC関係は話題になります。最近でも5月25日の毎日新聞(ウェブ版)に、「<音楽保存サービス>ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁」といった報道がありました。やたらに提訴しているようなイメージがあります。
実際はどうなのか。「引用」の認識で記事を書いて、JASRACから使用料を請求されるようなことはないのか。オーマイニュース編集部は「正しい引用ならば大丈夫である」と言っているが、本当に大丈夫なのでしょうか。
歌詞引用のガイドライン(原則)について、オーマイニュース編集部は、市民記者からの質問に回答するという形でコメント欄で開示していますが、心配性の私としては、JASRAC側の考え方がわからないといかんともしがたい。正義は我にあり、裁判も辞さず、という方は少数でしょう。
藪をつついて蛇をだす可能性がありますが、具体例を挙げてJASRACに突撃するしかないか……。
ラチがあかないのでJASRACにメル凸
というわけで、やぶ蛇になるかもしれないが、JASRACにあたるのが手っ取り早のではと考え、メル凸(メールにて突撃)してみました。
他のサイトの例をとると迷惑を及ぼす恐れがあるので、オーマイニュースの事例をあげて問い合わせました(とはいえ、自分の記事ではなく、第3者の記事をチクってしまう形になり、申し訳ございません)。
「『千の風になって』のナゾ」(矢山禎昭記者)については、ごく少数の市民記者(私を含む)が論難していましたが、これは編集部の言う通り、引用の要件を満たしていると思われるので、これだけだと、JASRACの方針ははっきりしないかもしれない。
ちょうど同じ時期、三田典玄記者の「ネットカフェ難民のうた?」が記事中でワンコーラス分の歌詞を使用していた。「1947年に出た『星の流れに』という曲です」として、「(歌:谷真酉美、作詩:清水みのる、作曲:利根一郎)」というクレジットがありました。
この2例をもとに、JASRACにあたってみました(繰り返しになりますが、自分の記事でなく、他の市民記者の記事をチクるような形になり、申し訳ございません)。
本名のメール。
以下のニュースサイトにおいて、御社管理楽曲「星の流れに」が掲載されております。認可番号が見あたらないのですがこれは「引用」の範囲内なのでしょうか。http://www.ohmynews.co.jp/news/20070514/11117
JASRACから返事。
こちらはJASRAC送信部ネットワーク課J-TAKT係です。
情報提供いただきありがとうございます。
内容を確認のうえ、適正に処理いたします。
……………………終了。
JASRACと認識をすりあわせる
いや、ここで終了してどうする。ただJASRACにチクっただけ……という形になってしまうではないか。
で、再度メールで粘着。以下メール内容を編集してインタビュー形式でご説明します。
本名 先のメール内容の事例(『千の風になって』『星の流れに』の件)は引用の要件を満たしているとおもわれますでしょうか。以上の件へのJASRAC様の見解を目安に、自分のブログへの登録歌曲の引用を行なおうと思うのですが。
JASRACの回答 引用については、著作権法第32条にて規定されています。第32条「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」
具体的なガイドラインは現在検討中ですので、今しばらくお待ちいただくとして、これまで、JASRACが利用者の方にお示ししている考え方をご案内いたします。
引用して利用することができるためには、以下の6項目がクリアされる必要があると考えています。
- 引用の目的が、報道、批評、研究その他でなければならない。
- 引用文を括弧でくくる等、自分の文章と区別しなければならない。
- 主従の関係、つまり、自分の文章が主であること。
- その著作物を引用する必然性があり、かつ、必要最小限度であること。
- その著作者の人格権を侵害しないこと。
- 著作物の出所を明示していること。
引用は著作権の制限に関することです。つまり、権利を制限してしまうことですので、その要件は厳しく守られることとするのがこれまでの裁判上の定説です。個々の事例を上記の6項目に照らして、引用かどうかを判断することとなります。以上、ご参考になさってください。
本名 たびたび失礼致します。私からの2つの事例、私の見解では引用の要件を満たしていると判断します。JASRAC様の見解はいかがでしょうか。
JASRACの回答 (1)~(6)について検証いたします。
- 目的は日本の歌謡曲の歴史、とくに戦後すぐの分析・研究でしょうか。
- 引用の部分を段落で他の文章と区別している。
- 明らかに戦後の日本を表現することが主で、歌詞は従。
- 「ネットカフェ難民のうた」を導き出すための楽曲であることで必然性を主張できる?のでしょうか。また、「星の流れに 身を占って」から「こんな女に誰がした」までを必要最小限度であると言えるでしょうか。
- 人格権の侵害は見当たらない。
- 出所の明示をしている。
ということで、(4)について議論のあるところかと思われます。いかがですか?(4)についてご意見を伺えればと思います。
本名 (4)については、現代世相と戦後の世相を重ね合わせ評論・報道するために引いてきた楽曲であり、「星の流れに」は時代性をよく表している楽曲であり、具体性に時代性を示すためにはワンコーラス必要であったということでは駄目でしょうか。現代の若い読者においては断片のみにては把握しにくいということです。ところで、もうひとつの質問、新井満訳詞の『千の風になって』のケースはJASRAC様の認識としては「引用」の範囲内であるということでよろしいでしょうか。
JASRACの回答 「現代世相と戦後の世相を重ね合わせ評論・報道するために引いてきた楽曲であり、「星の流れに」は時代性をよく表している楽曲であり、具体的に時代性を示すためにはワンコーラス必要である」というご説明を、了承いたします。
もう一点の、「新井満訳詞の「千の風に~」のケースはJASRAC様の認識としては「引用」の範囲内であるということでよろしいでしょうか」とのご質問についても、「引用」の範囲内と思われます。
JASRACに本記事の原文を見せてみた
その後、私は本記事の全文(編集部による編集前)をJASRAC送り、メール部分の掲載許可を求めました。そしてJASRACの返事を元に、記事の原文を一部改め、さらにJASRACの主張を追記としました。
以下JASRACからの返事の一部です。
これらの議論から読者が「引用」について理解を深めでいただけることを切に期待いたします。
また、掲載いただくならば、「JASRACは利権団体ではありません」し、通常の「引用の権利」という言葉は当を得ていません。また「その圧力により制限している」とありますが、「制限しているのは著作権法」の誤りだということも同時に掲載していただきたいと思います。
今後とも著作権制度ならびに当協会の業務にご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。
「無断」じゃなかったので、負けかな……
以上、この2件の事例に関しては、JASRACと「引用」との共通認識を得られました。オーマイニュース編集部の言っていたことは正しかったようです。
しかし、問い合わせをする、ということは使用料を払わないですむ“保証”を得られるとはいえ、「引用」の権利である「無断で」が行使できていないということになります。
JASRACの軍門に下ったわけではなく、勉強ということで勘弁してください。ジャーナリズムの矜持より、好奇心を優先してしまいました。
また、記事掲載前に、JASRACに検閲させたのかというお叱りがでるかもしれません。こちらとしてはJASRACと、話せば分かるかな、との意図もとに協議できた、という感じです。
「引用」について、オーマイニュース編集部が言っていたことが正しいと私個人として確認でき、記事執筆における歌詞引用に関する一定のガイドラインをしめせたのではないかと思いますが、さらなる議論、有識者の意見が必要と思われます。
まとめますと
【JASRAC側の歌詞引用のガイドライン】
引用して利用することができるためには、以下の6項目がクリアされる必要があると考えています。
- 引用の目的が、報道、批評、研究その他でなければならない。
- 引用文を括弧でくくる等、自分の文章と区別しなければならない。
- 主従の関係、つまり、自分の文章が主であること。
- その著作物を引用する必然性があり、かつ、必要最小限度であること。
- その著作者の人格権を侵害しないこと。
- 著作物の出所を明示していること。
引用は著作権の制限に関することです。つまり、権利を制限してしまうことですのでその要件は厳しく守られることとするのがこれまでの裁判上の定説です。個々の事例を上記の6項目に照らして、引用かどうかを判断することとなります。
上記ガイドラインと、編集部が過去、コメント欄で説明した3原則を、私なりに補足して説明しますと、
- 従属性。自分の著作物が主であって、引用される方が従であるという関係のこと。たとえば引用文が多く、それに自分のコメントがあるだけでは引用とはいえない。 (上記ガイドラインの3)
- 最小限度性。引用される著作物全体に占める、引用部分の割合が、必要最小限でなければならないこと。引き過ぎてはならないが、必要があれば全文引用しても良い(たとえば俳句、短歌など短いものは全文引かざるを得ない場合が多い)。その引用が無くても自分の著作が成り立つ場合は、引用の必然性はないことになる。 (上記ガイドラインの4)
- 明瞭区別性。出所を明示し、引用部分を地の文と区別し、引用であることを明確にしめすこと。(上記ガイドラインの2と6)
そのほかに引用時に気を付ける項目としては、以下2点があると思います。
- 未公表の著作物は引用できない。出版、演奏等の方法で公衆に提示されたものでなくては引用ができません。
- 原文のまま引用する。引用する場合、改変してはいけないということですね。また要約引用も駄目。