特定のネットワーク上でしか通用しない「真理」
重度の心臓病を患った少女、さくらちゃんが海外で心臓移植手術を受けるために、行われている募金活動に対してネット上、主に匿名掲示板「2ちゃんねる」で批判が噴出している。
匿名の批判者たちは、さくらちゃんの両親がNHK職員で高収入であることなどを理由に、両親たちは自らの資産を使うことなく社会に甘えて募金活動をしているのではないかなどと、糾弾している。
「死ぬ死ぬ詐欺」というのは、彼らの糾弾のキャッチコピーのようなもので、そのサイトを見たぼくの感想は「馬鹿なんじゃないの?」だった。
そして、ひたすら下劣な言葉による不快感。さくらちゃんの命がかかっているのに「死」と言う言葉を安易に使い、しかも繰り返すというのは思いやりが無さ過ぎる。なんというか、口にするたびに胸の中で黒いもやもやが広がってくるようで、邪悪とさえ言ってしまいたくなる。はっきり言って、ぼくはそんな言葉を臆面もなくキャッチコピーに使える人たちの神経を疑ってしまう。
批判者たちの言う根拠も有り体に言ってしまえば、他愛もないものだ。単なるげすの勘繰りに過ぎない。
「NHKの職員は高収入だろう」と言っても、NHKの職員の給与水準の内情が分かるわけではないから「~だろう」ということぐらいしか言えない。素人の憶測に過ぎない。
「はじめから多めに募金を集めて余った金を横領しようとしているのではないか?」と言う批判にいたっては、もっとお粗末だ。心臓移植手術の費用の確実な試算が出来ない限り、必要な募金の目標額も分かるはずがないからだ。
さらに言えば、「募金に頼らず、両親の資産を使うべきではないのか?」という批判も同様だ。さくらちゃんの治療費は今現在もかかっており、術後も当然費用がいるだろう。が、それがいくらぐらいになるのか、今の段階ではとても分からない。
つまるところ、批判者たちが分かってることなど何1つないのだ。お粗末極まりない。
なにが邪悪であるかと言うと、この「祭り」(ネット上の騒動を表すジャーゴン)において募金をしたものなどおそらく1人もいないのに、悪戯みたいな書き込みを続けていることだ。
いわゆる「2ちゃんねらー」(「2ちゃんねる」のヘビーユーザーを表すジャーゴン)と言うものは本質的にそうである。彼らは集団の力を無邪気に使い、それが自分たちの実力だと自惚れているが、彼ら1人ひとりができることと言えば子供の悪戯みたいなことだけである。彼らは本質的に子供なのだ。
それにしても、彼らの「検証」というのはお粗末のひと言なのであるが、ネット上に「2ちゃんねるの人たちの検証能力はすごすぎ」という文言が散見され、彼ら自身もそう信じているように見えるのは、いったいなんなんだろうか。
思うに、それはやはりある種のネット使用者のあいだで「コード」が共有されているというのが大きいのではないか。
「コード」というのは慣例、規定、符号、暗号などの意味があるが、この場合は、拠って立つ「ことば」である。例えば、彼らが「サヨク」の「国旗」や「国歌」などの単語に対する意味の置き方をあざ笑うとき「サヨクのコード」をあざ笑っているのだ。
そして、「コード」はカッコ付きのいわゆる「真理」と繋がっているのだ。例えば、「サヨクのコード」において「国旗・国歌」が必ず「軍国主義」に繋がっているように。それは他の立場の人から見れば真実ではないかもしれないが、「サヨクのコード」に拠って立つ人からすればそれは「真理」に見えてしまうのである。
それにインターネットの特性が絡む。既存のメディアとは違い、誰でも好きなだけ情報を発信できるメディアだと考えると、そこで発信されるのは「自分たち」の生の声、「生きている声」なのだ、と思いがちである。だからそのネガとして、「自分たち」以外の「声」、すなわち「死んだ声」をはなから眉唾物としてみるのである。
その結果、「自分たちの『コード』で示される情報は『真理』である』という思い込みにつながる。ある特定のネットワーク上から外に出てしまえば矮小でしかない言説が、「コード」の力である種の空間においては「真理」とされてしまう。
真理であるか、否かの基準が内容にあるのではなく、「コード」にあるのだとしたら、「真理」として示されているのは、ある特定の1つだけの「真理」なのだ。
そんなふうに、ある特定の、カッコ付きのいわゆる「真理」が常に繰り返して示されることを哲学者のジャック・デリダは再現前(リプレゼント)と名づけた。
インターネットというのは、そんなふうにコードの専制が顕著な空間である。
こんな風にある種のコードが横行するのは、OhmyNewsも例外ではない。
まず、「自分たちの言葉」であるからといって信用する前に、それを疑ってみてほしいのだ。貴方が「自分たちの言葉」を語りだす前に、それを疑ってみてほしいのだ。「自分たちの言葉」が、「生きている声」が、どれくらい卑劣か、まず考えてみてほしい。